
日本最高峰・標高3,776mの富士山。その象徴的な姿は、多くの登山者にとって一度は登頂したい特別な山だ。技術的には初心者でも挑戦可能とされるが、標高差と距離、そして高山病のリスクは決して軽視できない。本ガイドでは、富士登山を計画するすべての人が安全に登頂するために必要な知識と準備を包括的に解説する。
富士山とはどんな山か
日本最高峰の特徴
標高3,776m、独立峰として日本最高峰を誇る富士山は、周囲に遮るものがなく、天候の変化が激しい山だ。山麓と山頂の気温差は20℃以上に達することもあり、夏でも山頂付近は氷点下になる可能性がある。
富士山の特性:
- 独立峰: 周囲に風を遮る山がなく、強風にさらされやすい
- 火山: 植生が少なく、日差しを遮るものがほとんどない
- 標高差: 登山口から山頂まで約1,400〜2,300mの標高差
- 距離: 往復で15〜20km以上を歩く長距離登山
登山難易度の実態
技術的には岩場や鎖場といった特殊な技術を必要としないが、長時間の歩行と高度順応が最大の課題となる。「初心者向け」という言葉に惑わされず、十分な準備と体力が必要だと認識しておくべきだ。
登山シーズンとルート選択
夏山シーズンの重要性
富士山の登山シーズンは7月上旬〜9月上旬の約2ヶ月間のみ。ただし、ルートによって開山期間が異なる(吉田ルート7/1-9/10、富士宮ルート7/9-9/10、須走ルート7/15-8/31、御殿場ルート7/10-9/10が目安)。この期間以外は山小屋が閉鎖され、積雪や悪天候のリスクが高く、冬山装備と経験が必須となる。初心者は必ず開山期間中に登山すること。
シーズンのポイント:
- 7月上旬〜中旬: 梅雨明け直後、天候が不安定な場合も
- 7月下旬〜8月: 最も混雑するが、天候が安定しやすい
- 9月: 混雑は緩和されるが、気温低下と台風リスクに注意
主要4ルートの特徴比較
富士山には主要な4つの登山ルートがあり、それぞれ特徴が大きく異なる。
| ルート | 標高差 | 距離 | 山小屋 | 混雑度 | 初心者適性 |
|---|---|---|---|---|---|
| 吉田ルート | 約1,450m | 往復14.5km | 多数 | ★★★★★ | 最適 |
| 富士宮ルート | 約1,350m | 往復8.5km | 中程度 | ★★★★☆ | 適 |
| 須走ルート | 約1,700m | 往復14km | 少なめ | ★★☆☆☆ | 中級向け |
| 御殿場ルート | 約2,300m | 往復19.5km | 少ない | ★☆☆☆☆ | 初心者不向き |

初心者におすすめのルート
最適: 吉田ルート
理由:
- 山小屋と救護所が充実し、安心感が高い
- 登山道と下山道が分かれており、流れがスムーズ
- アクセスが便利(富士スバルライン五合目)
- 万が一のトラブル時にサポートを受けやすい
混雑が気になる場合は富士宮ルートも選択肢だが、傾斜が急で高山病のリスクが高まる点に注意が必要だ。
必要な体力とトレーニング
富士登山に求められる体力レベル
富士登山は「長時間の有酸素運動を継続できる持久力」が最も重要になる。一般的な登山計画では、1泊2日で10〜15時間の歩行を想定する必要がある。
目安となる体力:
- 平地を3〜4時間連続で歩ける持久力
- 階段の昇降を30分以上続けられる脚力
- 10kg程度の荷物を背負って歩ける筋力
効果的なトレーニングプログラム
3ヶ月前から:
- 週2〜3回、30分以上のウォーキングまたはジョギング
- 階段昇降トレーニング(エレベーターを使わず階段を選ぶ)
- スクワットやランジで脚力強化
1ヶ月前から:
- 週末に低山(標高500〜1,000m)での実地トレーニング
- 登山靴を履き慣らし、足の状態を確認
- ザックに荷物を入れて、実際の重量で歩く練習
1週間前:
- 激しいトレーニングは避け、軽い運動で調整
- 十分な睡眠とバランスの良い食事
- 疲労を残さないことを優先

必要な装備リスト
富士山は天候が変わりやすく、夏でも山頂付近は冬並みの寒さになる。装備不足は命に関わるリスクとなるため、妥協せず準備すること。
ウェアシステム(レイヤリング)
ベースレイヤー(肌着):
- 速乾性のある化繊またはメリノウール素材
- 綿は汗冷えの原因となるため避ける
- 長袖推奨(日焼け・寒さ対策)
ミッドレイヤー(中間着):
- フリースまたは薄手のダウンジャケット
- 休憩時や山小屋での防寒に必須
- 軽量でコンパクトに収納できるものが理想
アウターレイヤー(レインウェア):
- 上下セパレートの防水透湿性レインウェア必須
- 強風に耐えられるしっかりした素材(GORE-TEXなど)
- ポンチョは強風で使用不可
- レイヤリングの詳細は冬山登山のレイヤリングシステム完全ガイドを参照
ボトムス:
- 速乾性の長ズボン(ハーフパンツ+タイツは寒さに注意)
- サポートタイツで脚への負担軽減も有効
小物:
- 帽子: つばの広いキャップ(あご紐付き推奨)、防寒用ニット帽
- 手袋: 岩場での手の保護と防寒(防水性があると理想)
- 厚手の登山用靴下: 複数枚(予備含む)
ギア・装備
登山靴:
- ハイカットタイプで足首をサポートするもの
- ソールが硬く、岩場でも安定性がある
- 防水性があると快適
- 必ず事前に履き慣らしておく(レンタルの場合も試着を徹底)
ザック:
- 容量20〜30リットル程度
- レインカバー付き、または別途用意
ヘッドランプ:
- ご来光登山や山小屋での移動に必須
- 予備電池も忘れずに
トレッキングポール:
- 脚への負担軽減、特に下山時に有効
- 初心者には強く推奨
食料・水分補給
- 飲料水: 1.0〜1.5リットル(山小屋で購入可能だが高額)
- 行動食: 手軽に食べられるエネルギー補給食(ナッツ、チョコレート、エナジーバー、ゼリー飲料など)
- 昼食: 山小屋で食事可能だが、自前でおにぎりなども
安全・その他
- 地図・コンパス または GPS登山アプリ
- 携帯電話 + モバイルバッテリー
- 救急セット: 絆創膏、痛み止め、常備薬
- 小銭: トイレ利用(200〜300円)、山小屋での買い物用に100円玉を多めに
- サングラス: 強烈な紫外線対策
- 日焼け止め: 高地は紫外線が非常に強い
- エマージェンシーシート: 緊急時の防寒・防風用
- 健康保険証: コピーまたは写真

高山病対策 - 最大のリスク要因
高山病とは
高山病は、標高2,000〜2,500m程度から空気中の酸素濃度が低下することで発症リスクが高まる症状だ。特に2,500m以上では多くの登山者が何らかの症状を経験する。
主な症状:
- 頭痛(最も一般的)
- 吐き気、食欲不振
- めまい、ふらつき
- 倦怠感、疲労感
- 睡眠障害
重症化すると高地肺水腫や高地脳浮腫といった命に関わる状態になることもある。
予防方法
1. ゆっくり登る(最重要)
- 急激な高度上昇を避け、1時間に300m以下のペースを守る
- 休憩を頻繁に取り、体を高度に順応させる
- 「もう少しいける」と思っても、ゆっくり登ることを優先
2. こまめな水分補給
- 1日2〜3リットルの水分摂取を目標に
- 喉が渇く前に少しずつ飲む
- カフェインやアルコールは利尿作用があるため避ける
3. 深い呼吸を意識
- 意識的に深く呼吸し、酸素を取り込む
- 特に休憩時に深呼吸を繰り返す
4. 十分なエネルギー補給
- 空腹状態は高山病を悪化させる
- こまめに行動食を摂取
5. 前日の睡眠と体調管理
- 睡眠不足や疲労は高山病のリスクを高める
- アルコールは控える
症状が出た時の対処法
軽度の症状(軽い頭痛、倦怠感):
- その場で30分〜1時間休憩
- 水分補給と深呼吸
- 症状が改善したらゆっくり登山再開
中等度の症状(強い頭痛、吐き気):
- それ以上登らず、現在地で休憩
- 症状が改善しない場合は下山を検討
- 山小屋スタッフや救護所に相談
重度の症状(激しい頭痛、嘔吐、意識混濁、歩行困難):
- 直ちに下山(標高を下げることが唯一の根本的治療)
- 自力での下山が困難な場合は救助要請(110番または山小屋スタッフ)
重要な判断基準: 「もう少し頑張れば」という考えは危険。症状が出たら無理をせず、下山する勇気を持つことが最も重要。
登山計画の立て方
山小屋予約の重要性
1泊2日で登る場合、山小屋の予約は必須となる。夏季のピーク時(7月下旬〜8月)は数ヶ月前から予約が埋まるため、早めの計画が重要だ。
予約のポイント:
- 登山予定日の3〜6ヶ月前に予約開始
- 土日祝日は特に混雑するため平日がおすすめ
- キャンセル料の規定を事前に確認
- 八合目付近の山小屋が標高順応に適している
推奨登山スケジュール
1泊2日プラン(初心者推奨):
1日目:
- 午前: 五合目到着、1〜2時間の高度順応休憩
- 昼〜夕方: ゆっくりと八合目の山小屋へ(4〜6時間)
- 夕食後、早めに就寝(18〜19時)
2日目:
- 深夜: 起床(1〜2時)、軽食
- 深夜〜早朝: 山頂へ向けて出発(2〜3時間)
- 早朝: 山頂でご来光
- 午前: お鉢巡り、休憩後に下山開始
- 昼〜午後: 五合目到着
日帰りプラン(体力に自信がある人のみ):
- 早朝4〜5時出発、夕方16時頃までに下山
- 高度順応の時間が少なく、高山病リスクが高い
- 初心者には推奨しない
天候確認と中止判断
登山前:
- 1週間前から天気予報を毎日確認
- 山の天気予報専門サイト(てんきとくらす、ヤマテンなど)を活用
- 台風や前線の接近が予想される場合は中止を検討
- 天候判断の詳細は山の天気判断基礎を参照
登山中:
- 雷雲の発生、強風、視界不良などの悪天候時は撤退
- 「せっかくここまで来たのに」という心理に負けない
- 安全第一の判断を
登山届の提出
登山届(登山計画書)の提出は法的義務であり、万が一の際の救助活動に不可欠だ。
提出方法:
- オンライン提出: 静岡県・山梨県の登山届システム、compass(登山届アプリ)
- 紙での提出: 登山口の登山届ポストへ投函
- 提出内容: 氏名、連絡先、登山ルート、日程、緊急連絡先など
安全登山のチェックリスト
出発前の最終確認
1週間前:
- ☑ 天気予報の確認開始
- ☑ 装備の最終点検(破損、消耗品の確認)
- ☑ 登山靴の履き慣らし完了
- ☑ 体調管理(睡眠、栄養)
前日:
- ☑ 天気予報の最終確認
- ☑ 装備のパッキング完了
- ☑ 登山届の提出準備
- ☑ 十分な睡眠
- ☑ アルコール摂取を控える
当日出発前:
- ☑ 体調チェック(発熱、下痢、睡眠不足がないか)
- ☑ 天候の最終確認
- ☑ 忘れ物チェック(特にヘッドランプ、レインウェア、水)
- ☑ 家族や友人へ行程の共有
登山中の注意点
ペース配分:
- 五合目到着後、必ず1〜2時間の高度順応休憩
- 「息が上がらない程度」のゆっくりペースを維持
- 30〜50分歩いたら5〜10分休憩の習慣を
体調管理:
- こまめな水分・エネルギー補給
- 少しでも高山病の兆候を感じたら休憩
- 寒さを感じたら早めに防寒着を追加
安全確保:
- 登山道を外れない
- 落石に注意(自分が石を落とさない、上方からの落石に警戒)
- 混雑時は焦らず、順番を守る
緊急時の連絡先
- 緊急通報: 110番(警察)または119番(消防)
- 富士山五合目救護所: 各ルートの五合目に設置
- 山小屋スタッフ: 最寄りの山小屋に相談
携帯電話は山頂付近では概ね通じるが、場所により圏外になる可能性もある。
最後に - 安全で充実した富士登山のために
富士山は技術的には初心者でも挑戦できる山だが、標高、距離、高山病という3つの課題を決して軽視してはならない。十分な準備とトレーニング、そして自分の体調と向き合う謙虚さがあれば、日本最高峰からの絶景とご来光という素晴らしい体験が待っている。
富士登山成功の3原則:
- 焦らず、ゆっくり登る - 高度順応を最優先に
- 装備を妥協しない - 天候変化に対応できる準備を(装備選びはウルトラライト登山入門も参考に)
- 引き返す勇気を持つ - 無理な登頂より安全な下山を
この夏、十分な準備を整えて、安全で思い出深い富士登山を実現してほしい。
次のステップ:
- 富士登山の経験を積んだら、初心者のための日帰り登山ガイドで他の山にも挑戦してみよう